“社会的な自己の死” と “本当の自分の再生”

悩んでいた。とにかく悩んでいた。

2024年が明けて早々、社会は大波乱が続いているが、
俺は一足お先に去年11月から種が芽を吹き始め、次第にそれは大きくなり、今年1月末に爆発した。

氣づきがあって急激に元氣になる時、落ち込んで無氣力になり苦しくなる時、
怒りが止まらない時、殺意にも似た恨みで自分が焼かれるような思いの時が続いた。

一時期は、胃も腸も痛くなり、腹も減らず、なのに下痢が止まらず、そして感情が暴走し朝6時まで眠れない日々。

1週間で4kgやせ細り、スーツもブカブカになった。

仕事にも支障をきたしまくった。
文字通り「動けなかった」。

深層心理にアプローチをする仕事をしているので、その手法を総動員して自力で解決を試みるも、今回ばかりは全く歯が立たず。

5年ぶりにパニック発作が出てしまったり、
ふと道を歩いていて、

「この苦しみから逃れられるなら死んでしまいたい」

との言葉が脳内に浮かんだ時に、

あっこれはマジでまずい、

と思い、

知り合いのカウンセラーさんにすぐさま電話。

そこからカウンセリングを受け続け、ほどなく “ずっとどん底” 状態からは抜け出す事ができた。
いや、抜け出したというより「陰極まれば陽に転ずる」という体験だった。

そこで氣づいたこと。

・自分よりも他人を優先していた。
誰よりも何よりも、自分を後回しにしていた。
こんなにまでも自分をないがしろにしていたのか。

・「役に立ちたい、喜ばせたい、楽しませたい」
それが “結果” という形で目に見えないと “自信” が発生しない。
つまり “行為“ だけでは自分を認めていなかった。

・それは一見ギバーのようで、内心はテイカーだった。
(与えることよりも、役に立てた!という感覚がほしかったがゆえの行動だった)

・“他責は良くない” と思っているゆえに、過剰に “自責” に偏っていた。
その結果、相手を尊重しようとしすぎるあまり、自分の感情を脇に置いていた。
こんなにも俺は傷ついていたのかと氣づいた時に、今まで溜まっていた(事にも氣づいていなかったが) “怒り” が溢れ出して来た。

・これは “正当な怒り” だった。
それに寄り添い受け止めて、まず自分を癒した時に、初めて真に相手を尊重できた。
相手の事情や考えに理解ができた。

・先に相手を守ってどうする、まず自分を自分が守ってあげようよ。
すると、相手に対しても「許した方が良いから許そう」ではなく「許したい」と心が思えた。(進行形)

・これらを経た上で、改めて、
「全ての出来事の原因は、全て自分の内側にある」
と完璧に腑に落ち、自然に “自責” として現象の解決に立ち向かえた。

ありがたいご縁のおかげさまで、いろんな方々に支えられて生きてきました。

その “良い要素” は、
「外側に満たしてもらってるから、“自分で自分を満たす” ことを怠って生きてきてしまった」
という “悪い要素” も同時にはらんでいたことに、大事(おおごと)になってから氣づきました。
だって、人間だもの。

どん底は抜けたものの、まだまだ手放した方がいい「古い自分」もいます。
コツコツそんな自分とも対話を続けて、内側のどんな人格も愛していこうと、決めたのでした。

今日もコツコツと、これまでの古い設定を解体し、本当に望む自分に立ち戻る作業は続く😌

何かみんなの氣づきにもなれば、嬉しいな😊